top of page

【オステオパシーとは】

オステオパシーはアメリカ発祥の医学体系であり、創始者はアメリカのアンドリュー・テイラー・スティル医師です。主にマニュピレーション(手による技術)により体の本来持っている自然治癒力を最大限まで引き出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

オステオパシーはアメリカにおいては国家資格です。Doctor of Osteopathy(あるいはD.O.)とも言い、全ての州で「医師免許」を認可されています。

診断・外科手術・処方・投薬といった西洋医学の医師と同等の医療行為が認められています。

しかし、日本では整体という位置づけにされており、民間資格、医療類似行為とされています。

オステオパシーという言葉も少しずつ認知されてきていますが、まだまだ知らない方が多いのが現実です。

 

アメリカの元大統領が新型コロナウイルスに罹患されたときの主治医がオステオパシードクターであったことや、羽生弦選手・錦織圭選手などのトップアスリートが海外でオステオパシー治療を受けたこと、サッカーワールドカップではオステオパシードクターがチームに帯同する国もあることなど、海外ではスタンダードな医学として広まっています。

アンドリュー・テイラー・スティル

【オステオパシーの定義】

​オステオパシーとは、人体の各部位の構造、機能、および人体を構成する組織間同士の関係に関する知識であり、人体が調和して働くことを妨げる全てのものに対し、調整及び矯正するために用いられる。

【オステオパシー哲学と基本原則】

我々は自然の完全性に基づいている。
人体の構造が秩序正しく整列または調和しているとき、我々は健康である。
その秩序が乱れたとき、結果として生じるのが病気(症状)である。
我々の仕事は乱れた箇所を見つけて、その部分を再調整することである。
そうすれば異常な状態は正常な状態へと戻り、病気は健康に道を譲る。

①体は一つのユニット(単位)であり、一人の人間とは身体(Body)・心(Mind)・精神(Spirit)の単位である。
②構造と機能は相互に関係している。
③体は自己調整、自己治癒能力を持っている。
④合理的な治療は身体の調和、自己調節、及び構造と機能の相互関係の基礎的原理に基づいている。

【一般的な西洋医学とオステオパシーの考え方の違い】

現在の一般的な西洋医学(アロパシー)では、主に症状に焦点を当て、その症状に対して反対の作用を与える対症療法を治療の原則としています。

熱が上がると解熱剤が処方され、便秘であれば下剤が処方されます。

腰痛であれば、腰のレントゲンを撮り、腰を温めたり、腰に湿布を張ったり、腰のマッサージ、痛み止めの薬や注射などが処方されます。もしくは症状が強く日常生活に支障をきたす場合は手術が検討されます。

一般的には症状を一時的に抑え、辛い症状を見えなくする、それでもだめなら患部を外科的に変えてしまう、といった手段がとられます。​

一方で生命の危機に関わる病気や疾患、急性の外傷などに対しては大きな効果があります。​

それに対してオステオパシーでは症状にとらわれるのではなく、その症状が生じた原因に焦点を当てる原因療法を原則としています。

​なぜその病に至ったのか、なぜその症状が起きているのか、なぜ健康から逸脱したのかを考えます。

膨大な解剖学の知識と繊細な触診能力を組み合わせ、ヒトの体を心と感情を持った1つの統合体として体全体を検査・施術します。

その為、必ずしも症状が起きている箇所に問題があるとは考えないため、患部から離れた箇所を施術することが多々あります。

広い視野でヒトの体を捉え、あらゆる箇所に焦点を当て施術していきます。

【オステオパシーでの体の診方】

体の構造(解剖学的な位置関係)もしくは機能(生理学的な働き)に問題が起こると、左右での位置関係の違い(非対称性)、動かせる範囲の制限(可動域制限)、触れた時の感触の変化(組織の質感異常)などが生じます。

この触れた時の感触の微細な変化を読み取れるのがオステオパシーの強みです。

これは今の医学に足りないところであると考えています。

体は異常が起これば、常に皮膚、筋膜、骨格、内臓を通して、その質的変化として異常を伝えます。

現在の西洋医学の問題は血液検査やレントゲン、心電図、CT、MRIなどの検査方法で異常が見つからなければ、対処できないということです。ひどい場合は、歳のせいにされたり、天気のせいにされたり、思い込みのせいにされたりします。

体は筋骨格系・神経系・呼吸器系・消化器系・代謝ホルモン系・免疫系・生殖器系など、すべて絶妙なバランスを取り合って健康を維持しています。

症状が起こるというのは体の中でバランスが取れなくなり、対応しきれなくなった結果です。

オステオパシーではこの体に起こる微細な変化を触診により読み取ります。

ですので必ずしも症状が起こっている箇所に問題が見つかるわけではありません。

オステオパシーで行うことは、体が自ら治癒できるように体全体のバランスをとることです。

そうすれば症状は自然に軽減、消失していくと考えます。

オステオパシーの創始者アメリカのアンドリュー・テイラー・スティル医師の有名な言葉です。

「Find it, Fix it, Leave it alone」

(見つけて、治して、放っておきなさい)

【オステオパシーの歴史】

スティル先生は西洋医学の医師であり、アメリカ南北戦争では軍医として従軍していました。

そこで裕福で十分な医療・看護を受けたのにも関わらず命を落とす人、貧しく劣悪な環境で十分な医療や看護を受けることが出来なかった人が助かる、といった光景を目の当たりにします。

 

「今の医療には何か欠けているものがあるのではないか」

そういった疑問を持ち始めます。

 

オステオパシーの創始につながった最も重要な出来事の一つは、スティル医師が経験した個人的な事件でした。それは2週間の間に、妻と子どもを脊髄炎で失い、その2週間後にもう一人の子どもが肺炎で亡くなったことです。

医師であり牧師であったスティル医師にとって、あまりに辛く悲惨な出来事であったことが想像できます。

 

これをきっかけに、人の体を徹底的に調べ、研究することに没頭します。​

​そしてついに、病気で亡くなった人の体には必ず解剖学的な異常がある、という事実を突き止めます。

「生前にこうした解剖学的な異常を調整することが出来れば彼らは病気に至らなかったのではないか」

 

 

 

1874年6月22日午前10時、スティル医師はオステオパシーの概念を思いついたとされています。

「オステオパシー」という新たな医学体系が誕生した瞬間でした。

​​しかし、当時の医学の考え方とは大きく違うため、医師や患者からなかなか受け入れられなかったそうです。結果的に彼は患者や同僚からも変わり者扱いされ、孤高の道を進むことになります

やがて彼はミズーリ州のカークスビルという町に落ち着きます。すると、彼の施術を受けた患者やその噂を聞きつけた多くの人たちが町に訪れ、小さな町に宿泊施設ができ、レストランができ、果てには大きな都市にまで発展するに至りました


1874年、ついにスティル先生は自らが作り上げた治療法を、ギリシャ語で「骨」を意味する言葉「Osteon(オステオン)」、病を意味する言葉「Pathos(パソス)」を組み合わせて「オステオパシー」として発表しました。

​1892年にはミズーリ州カークスビルに初めてのオステオパシー大学アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー」が設立されました。​現在ではアメリカに29校のオステオパシー大学があります。

 

 

 

アメリカでオステオパシーが認められたきっかけになったのが1918年に世界で大流行したスペイン風邪でした。通常の西洋医学の治療を受けた患者とオステオパシーを受けた患者では致死率に大きな差が出たことから、有効性が認められていきました。

現在ではアメリカ・アルゼンチン・イスラエル・カナダ・イタリア・イギリス・フランス・オーストラリア・スペイン・ニュージーランド・ベルギー・ドイツ・スイス・ロシアなど、様々な形でオステオパシーが実践されています。

アンドリュー・テイラー・スティル2
アンドリュー・テイラー・スティル3
bottom of page