オステオパシーはART(アート):芸術である。
なぜ自分がこれほどオステオパシーに惹かれるのか考えてみた。
おそらく提供するものが「商品要素が多い」か「作品要素が多い」かの違いであると思う。
理学療法などの保険診療では、エビデンス(証拠・根拠)のあるものが提供される。
研究論文などで効果があると一般的に言われているものを提供するのである。
それは絶対に正しいと思う。
治療を受ける患者側から見ても安心である。
しかし、理学療法などの人が行う動作に対して人がそれを数値化して、効果があると結論付けるのはかなり難しいのではないかとも思っている。
人の体は私たちが想像しているよりはるかに複雑で、奥深く、神秘的で、様々な不確定要素を含んでいる。
さらに動作になるともっと不確定要素が多くなる。
また病院ではクリニカルパスと呼ばれるものがある。
この時期にはこうする、この時期になったらこうする、次はこう・・・。
といったあらかじめ流れが決まっていたりする。
理学療法士が行うリハビリもそれに準じる。
この時期には車椅子、こうなれば歩行器、痛みがあれば患部を温め、関節が硬ければ超音波、背骨など骨と骨が詰まっていれば牽引、などだいたい決まっている。
座る練習、立つ練習、歩く練習、と流れが決まっている。
あらかじめパッケージ化された「商品要素」が多いと感じる。
それもいい。

それに対して私のオステオパシーは患者に対して徹底的に問診し、患者の体を触診技術で読み取り、自分が持っている技術を適切な場所に施していく。
適時体の反応を読み取り、微調整していく。
心や感情なども含め、一番バランスのとれた体になるように調整していく。
それはまるで、複雑に色が塗られたキャンバスに、光輝くよう、色鮮やかになるよう、自分が持っている色を重ねていくことに似ている。
オステオパシーを行う者は表現者であり、芸術家である。
オステオパシーを行う者の数だけオステオパシーはある。
もちろんオステオパシーは海外で法制化され、国家資格とされている国もあり、歴史的にも科学的にも証明されている。
理学療法より歴史は長い。
施術により患者の体が輝きだし、「健康」という芸術作品が生まれる。
このようなオステオパシーの「作品要素」の多さが強力に惹かれる理由だと思う。
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