オステオパシーを知る前は、理学療法士としての現場で、「内臓とか脳とか深い組織の解剖学なんて知ってても触れないんだからあまり覚えても意味がない」、と思っていた時期がある。
オステオパシーを知り、とんでもない間違いであったと気づく。
人は知らないものは感知も認知もできない。
結論、内臓も脳も触診により感知することができる。
オステオパシーのテクニックには「内臓マニュピレーション」や「頭蓋」に対する技術が存在する。
解剖学の重要性を伝えるのによく硬貨を使った例が出される。
例えば、ズボンのポケットに1円や5円、10円、100円などの日本の硬貨が何枚か入っていたとする。
おそらく日本人の私たちは「10円玉だけを出してください」と言われると、ポケットに手を入れ、目で確かめなくても10円硬貨だけを取り出すことができる。
それは10円玉の形や大きさや肌触りなどを知っていて、他の硬貨との形や大きさの違いを知っているからである。
しかし、ポケットに1ドル、5ユーロ、5ペソ、1レアル、1ソルの硬貨が入っていたとして、「5ペソの硬貨だけを出してください」と言われても、ほとんどの日本人が取り出せないと思う。
それは5ペソという硬貨がどんな形で、どんな大きさで、どんな肌触りがするかわからないからである。加えて、他の硬貨についても知らなければ比較のしようもない。
ここでいう「硬貨の形や大きさを知ること」が「解剖学を学ぶ」ということである。
オステオパシーの触診において、この場所に、こういう大きさで、こういう質感の、~~がある、ということがわかっていることが大前提になる。
それがわかっていて初めて触れたときにこれが~~だと感じることができる。
この事実を知って、初めて自分の肝臓を触診されたときの衝撃は忘れない。
先生の手が自分の体に沈んできて確かに肝臓実質を捉えられている。
それは筋肉や骨を触れられているときの感覚とは違う独特な感覚である。
誰がどう設計したのか。この複雑で完璧で神秘的な人の構造。解剖学。
一生かけて勉強する。
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